작은 행복
こんにちわ。
エスです。
タイトルの『작은 행복』は
小さな幸せ、という意味です。
私にとっての小さな幸せについて
お話しなんて大袈裟なものではなくて自分のために書き記しておきたいな〜って思ったのとそれと死にたいと周りで口癖のように言う子が多いなって思ったのでひっさしぶりにブログとやらに手を出してみました。
いきなり本題にはなるんだけど
みんなにとっての幸せはなにかな?
私にとってはご飯を人と食べたりとか
大好きなお洋服を見てる時間とか
心地よい音楽を聴いてる時間とか
何か特別じゃなくても小さな幸せでいい。
みんなにはありますか?
いきなりすっごく辛い話にはなるんだけど
2015.5.5
私がたった一度死のうとした日。
全部自分の目の前からなくなってしまって
好きなことを好きと言えず
学校も行かなくなって暇つぶしもできなくて
家に閉じこもりだった頃。
多分きっと自分が悪かった。
当時は6階建てのマンションに住んでたし
飛び降りるにはきっと最適だった。
ちなみに今までリスカとかをするような経験もなかったし別にそう思うようなことが家庭環境内であったかと言われればない。
両親は離婚していたし、母にも父にもパートナーはいたけれどどちらかと言えば本当に恵まれてたと思う。ずっと家族大好きだし。
大切な時にはいつも横に弟もいた。
だから多分よかった。
なんで死のうと思ったのかは今になってみればよく覚えてなくて衝動的なもので生きてる意味がわかんなくなっただけだと思う。
私は好き!をきっとずっと表現していたかった。
それが認められなくなった途端、受け入れてもらえなかった時の窮屈を半端なく感じる。
きっと今好きな人がいたりオタクをしていたりすごい大切にしてる趣味があったりする人なら伝わるかな。多分好きなものを好きと言えない人生はきっと当たり前に言える今は想像もつかないけど何億倍も辛い。
経験ある人もいると思う。
その好きが認められず他のことを好きになった振りをしてたりとか。
気持ちのコントロールなんて簡単にできるわけがないのにね。
死にたいなんてきっと例外なく訪れると思う。
長生きしたい!なんて思ってても人生楽しいことばかりじゃないのは明白だし。
それでも出会いは大切にしてたいよね、どんなに苦手な人でも。
だから自分の言葉としてこう伝えれるきっかけになったのは多分好きも嫌いも関係なくてその死にたかった期間に出会った人たちのおかげなのでどう考えを改めることが出来たのかというのを具体的に説明ができないんだけど。
だからこそこのブログを読んでくれた人のきっかけになれたら嬉しいな〜!自己満足だけどこれは!
多分死ぬ日っていうのはきっとだけど誰もが決まってると思う。
だからそれまでは弱くてもいいから生きてていいと思うし、自分を傷つけても相手を傷つけてみてもいいんじゃないかな。
勘違いして欲しくないのは推奨をしたいわけじゃなくてその人らしい表現で思うことを伝えてみてもいいと思う。ということ。
冒頭で話したご飯の話や服の話、音楽の話何気ないことが小さな幸せって言ったけど
私にとってはそんなことよりも死にたい期間に出会った人たちからもらった今がもうすでに小さな幸せでしたって話です。
自分らしく生きていたいけどそのらしさってやつ見つけるの案外難しい〜って苦戦中だからみんな私のこと普段から褒めてくれたりしたら好きがこぼれ落ちます。
また気が向いたら☺️!